横田滋さんの死を悼む

 

「言葉にならない」とは、こういう現実について言うのだろう。横田滋さんが亡くなったという報を聞いた。享年87歳。奇しくも、僕の父親、君たちのおじいちゃんと同じ歳だ。やはり人間も、多くの人は80歳を超えると確実に老いていく。自分の父親を見ても、かつて頑固で強かった父が、次第に弱々しくなっていく現実を、ゆっくりと受け入れ、いつか来る別れに対して少しずつ心の準備をし始めている。
横田滋さんについては、当然、そういう一般的な死では語り切れない。ある日、忽然と最愛の娘が消え、それが北朝鮮による拉致だと政府が公式見解を発表するまでだけでも、長い年月を要した。その後は拉致被害者の会の中心として精力的に活動し、小泉首相金正日主席とのトップ会談を経て、一部の拉致被害者の帰国が実現した際には、一気に事態が好転するのではないかと期待を抱かせた。しかし期待通り事態は進展しなかった。
その後、横田めぐみさんの娘(と言われる少女)とモンゴルで面会したり、北朝鮮から横田めぐみさんは既に死亡していると偽物と思われる遺骨が提供されたりと、あまりに残酷で耐え難い現実が繰り返された。それでも、横田滋さんは娘めぐみさんとの再会を信じ、活動し続け、天寿を全うした。
どうしたら事態が変わっていたのだろうか? 横田ご夫妻はじめ拉致被害者の会の皆さんの活動が不十分だったとは、とうてい思えない。過去・現在の日本政府の取組が怠慢だったとも思えない。安倍首相、菅官房長官にしても政治家という以前に、一人の人間としてこの問題を解決したいと執念を燃やしていたと思う。しかし、歴史は動かせなかった、動かなかった。北朝鮮の望むものをすべて提供していたら良かったのか。あるいは、北朝鮮を悪の帝国と名指し、国際世論の支持を得て、軍事的に脅迫すれば良かったのか。北朝鮮をあまり締め上げると、今の韓国同様、慰安婦問題とか徴用工問題とかを持ち出してくるだろう。そもそも北朝鮮との間では過去の清算も済んでいないし、国交すらない。
歴史上の悲劇、と一言で片付けるのは余りに安易過ぎるのは分かるけど、過去―特に太平洋戦争前後には、数多の日本人が理不尽に遭遇し、愛する人を失ったという事実もある。東京をはじめとする空爆による被害や、広島・長崎の原爆投下による惨劇をどう受け止めたら良いのだろうか? 卑近な例だけど、君たちのおじいちゃんも、いわゆる旧満州からの引揚者で、あの戦争末期に父親(つまり、僕のおじいさん、君たちのひいおじいさん)は、シベリアに駆り出され、その後の消息はまるで分からず、母親(つまり、僕のおばあさん、君たちのひいおばあさん)は、君たちのおじいさんを含む子供たちを、何とか全員日本に連れ帰り、しばらく後に病死した。こういう理不尽を多くの日本人が経験したはずだし、今も未解決な問題もたくさんある。近年続く自然災害による被害も同じだ。阪神淡路大震災東日本大震災の理不尽や不条理を多くの人が経験している。これをどう受け止めたらよいだろうか。
人間は、忘れることができる。いかなる苦難でも、それが短期間のできごとであれば、少しずつ回復できる。しかし、横田滋さんの戦いは、あまりに長く、希望と絶望の繰返しの連続で、それでも折れることなく、自分の信念を全うするために活動し続けた生き様には、最大限の敬意を表するしかない。
問題はまだ解決していない。横田めぐみさんをはじめ、拉致された人々が、今も北朝鮮にいるはずだ。日本は彼らを救出しなければならない。しかし、そのために僕らに何ができるのかと言うと、少し悲観的になってしまう。拉致被害者の会には賛同するし、その思いは共有したい。北朝鮮に対する日本人の声を代表する上での一部になりたいと思う。が、そういった市民レベルでの思いや活動が、どれだけ問題の解決に貢献できるのだろうか?
僕らは、横田滋さんの思いを忘れてはならない。結局は政治的な問題かもしれない。しかし日本国民全体として、強い意志を表示しつつけるべきだと思う。短時間で解決できないかもしれない。しかし僕たちは、この非人道的な事件を、今を生きる一人の日本人として、決して忘れてはならないと思う。改めて、横田滋さんのご冥福を祈り、合掌。