<舞台・映画> 王様と私(The King and I)

 

もう一つWOWOWから。
渡辺謙、ケリー・オハラ共演のミュージカル「王様と私(The King and I)」のロンドン公演です。残念ながら渡辺謙は受賞できませんでしたが、第69回 トニー賞(2015年)で4部門を受賞した作品のロンドン凱旋公演です。
1951年の初演。ミュージカル創成期の最重要コンビーリチャード・ロジャースオスカー・ハマースタイン2世の作です。このコンビには「オクラホマ」「南太平洋」「サウンド・オブ・ミュージック」などの永遠の名作が多々あり、今でもしばしばリバイバル上演されています。もうクラシックと言ってよいのですが、このロジャースとハマースタインの作品は、「サウンド・オブ・ミュージック」が典型だと思うのですが、明るさと苦難を織り交ぜながらストーリーが展開され、最後は希望と未来に満ちたエンディングでクライマックスを迎えるというパターンが感動的です。
さて、「王様と私(The King and I)」ですが、シャム王役の渡辺謙と家庭教師のアンナ役のケリー・オハラが、有名な「Shall we dance」踊り歌うクライマックスからシャム王が亡くなる終幕までの後半、思わず目頭が熱くなってしまいました。


ストーリーはおよそこんな感じです。19世紀中葉、厳粛なイギリス淑女であるアンナが、息子を伴い、シャム(現在のタイ)のバンコクに、王の多くの子の家庭教師として招かれます。到着直後、首相の強面にアンナの息子が怖がったり、住まいが契約とは違っていたりと小さなゴタゴタが続きます。数週間後、王はアンナに初の謁見の機会を与ますが、ゴタゴタは収まりません。絶対的権力と権威を当然と考える王と、イギリス流の教育を受けてきたアンナの対立は続きます。アンナはシャムの近代化計画の1つとして招聘されたのですが、王の昔ながらの考え方と行動と衝突が絶えません。しかし、アンナの真摯で信念に基づいた言動に、王の妻たち、子供たちは徐々にアンナに対する敬愛を深め、魅了されていきます。
一方、自信満々の絶対君主であった王の苦悩が始まります。周りの人々は、徐々にアンナの教えに感化されはじめ、王自身もアンナの数々の発言に、悩みを深めていきます。もう一つのクライマックスは、イギリスがシャムを保護国にしようと、特使を派遣し、シャムの視察に来るというできごとです。王によると、もしイギリスの特使が、シャムは野蛮で未開だと報告した場合、シャムの独立は危機に瀕するというのです。そこで、アンナはその特使を迎えるために、妻たちとの服装を西洋風のドレスにし、西洋風の食事でもてなす準備をすることを提案します。しかも、『アンクル・トムの小屋』を基にした『アンクル・トーマスの小屋』の脚本を準備し、シャムが人権を尊重し、民主的な考え方の国家であることを伝えようとします。この劇中劇「アンクル・トーマスの小屋」にはかなりの時間が割けられており、絶対君主的な王がその考えを変え、民主的な国づくりへ考え方を変えていく、重要な転機となっています。
しかしその後も王の苦悩とアンナとの軋轢は続きます。お互い尊敬し合い、ある種の愛情を抱きながら、根本的な思想や主義の部分では理解し得ない。それは王とアンナの個人間の問題であったでしょうし、西洋と東洋の国家間の問題であったかもしれません。作品は、王とアンナの、互いの葛藤と敬意を印象的に語り続けます。
そして物語は、冒頭に触れた代表作「Shall we dance」から王の死という結末に一気に進んでいきます。王の死の直前、王子は次の王としての自分の方針を堂々と語ります。アンナが嫌っていた「かえるの様な」平伏の挨拶の習慣は廃止するなど。王子が話し続ける中、王は亡くなり、アンナはひざまずき、手を握ってキスをし、妻子たちは旧王と新王に敬意を表し会釈します。舞台では、新王にスポットライトがあたり、新たな出発を象徴的に描きます。
主演の渡辺謙、ケリー・オハラは、ブロードウェイで長い公演を重ねてきたこともあり、共にとてもリラックスしていて、そのやり取りは、時にほくそ笑んでしまうほどナチュラルでこなれています。それも含めて、何とも感動的で余韻の残る素晴らしい舞台でした。

ちなみに初演は、日本でも有名なユル・ブリンナーとデボラ・カーの主演で、映画化もされています。