<舞台・映画> ジーザス・クライスト・スーパースター

 

先日、WOWOWでロンドンのプロダクションによる「ジーザス・クライスト・スーパースター」を放映していました。舞台装置は現代的でカッコよく、ジーザスが天に召されるエンディングは荘厳で、さすが大手プロダクション、派手な演出で感動させます。
ジーザス・クライスト・スーパースター」は、「キャッツ」「オペラ座の怪人」など、数々の傑作ミュージカルを生みだし、サーの称号も持つ、巨匠アンドリュー・ロイド・ウェーバーのメジャーデビュー作です。作詞・脚本はティム・ライス。「エビータ」や「美女と野獣」「ライオンキング」などのディズニー作品も手掛けたこちらもまた巨匠です。主演のジーザス役にはグラミー賞常連のソウル歌手のジョン・レジェンド、さらにアリス・クーパーまで出演する豪華版です。
1971年初演ということですが、全く古さを感じさせないロックサウンドと今でも刺激的・挑発的なストーリーはやはり凄いです。あまり過剰な舞台装置が無くても舞台化でき、製作者のイマジネーションで上演できるので、様々な創造的な芸術家によって再三公演されています。日本では、劇団四季が手掛け、いくつかのヴァージョンがあり、ある時期、劇団四季の若手の登竜門の様な演目になっていました。ただし、ユダを筆頭に、キャストには相当高度の歌唱力が要求される、レベルの高い作品だと思います。


ストーリーはシンプルです、ジーザスの死までの7日間を描くドラマです。しかし、そのジーザス観は、正統的なそれとかなり異なります。伝統的・正統的な解釈は、ジーザスは神の子であり、救世主である。ユダは、ジーザスの使徒でありながら、ジーザスを時の権力に売り渡した裏切り者である。マグダラのマリアは、結局娼婦みたいなもので、ジーザスを誘惑し、誤った道に誘った、と言ったところでしょうか。
ところが、「ジーザス・クライスト・スーパースター」では、かなり異なった解釈とストーリーが提示されます。
当初、圧倒的な支持を得ていたはずのジーザスの行動が徐々に変容していきます。裏切り者と烙印を押されているユダは、むしろジーザスの言動を客観的に見つめ続け、何とかジーザスに軌道修正をして欲しいと思う批判的な賛同者のようです。マグダラのマリアは、ジーザスを誘惑した娼婦と目されていますが、むしろジーザスの苦しみを慰める母親の様な存在として描かれています。
ジーザスを死に導いたのは、ユダでもマリアでも、ましてや当時の統治勢力であるローマでもない。ジーザスは自身の言動が、次第に民衆の支持を失い、その民衆が統治者にジーザスの処分を求めた、というのがこの作品のジーザス解釈です。
かなり挑発的な解釈です。伝統的で敬虔なキリスト信者にとっては、この挑発的な物語をしかもロックに乗せて演じるのですから、ちょっと許せなかったでしょう。実際、1971年ブロードウェイの初演時に、多くのキリスト教者が、その公演に反対したようです。

宗教的な解釈は良く分からないけれど、舞台芸術としてみた場合には、古びることのない魅力的な作品です。なかなか舞台を見る機会がないと思うので、是非映画だけでも見てください。ミュージカル映画には駄作も多いのですが、この映画は、オリジナルの舞台の負けないほどの秀作に仕上がっています。 

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