<映画> 羅生門黒澤明

 

羅生門」は。黒澤明監督が1950年に発表したモノクロ、88分のどちらかと言えば短い作品です。この後黒澤監督は「生きる」「七人の侍」などの代表作を世に送り出しますから、「羅生門」はどちらかと言えば初期の作品と言えるでしょう。映画のモチーフとなった原作は芥川龍之介の短編小説「藪の中」と「羅生門」です。しかし「羅生門」はホントに短編なので(10ページ程度の一つのエピソード)、映画「羅生門」の想の多くは「藪の中」からきています。「藪の中」では映画のタイトルとしてはキャッチ―ではないので、「羅生門」というタイトルにしたのかな? 出演は、三船敏郎森雅之京マチ子志村喬千秋実、上田吉二郎、本間文子加東大介の8名―男優陣は、その後の黒澤組の主要な役者陣ですから、今から思えば何ともゴージャスなキャスティングです。モノクロ映画ですが、自然光を生かすために鏡の反射を使ったり、カメラが太陽光を直接とらえたり、と何とも革新的な映像になっています。音楽も、テンポの速めのボレロが全編を覆い、映画にリズムと切迫感を与えます。時代背景は平安時代と古いのですが、シナリオ、俳優、カメラ、音楽が醸し出す映画全体のテーストは、何ともモダンでクールです。ちょっとヌーヴェル・ヴァーグ調です。

羅生門 デジタル完全版

羅生門 デジタル完全版

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 平安時代の京の都。繰り返される戦乱と疫病の流行に、天災も加わり、退廃的な時代です。羅生門もかなり荒れ果てていて、そこに雨宿りをする3人の男がいます。冒頭は、芥川の小説「羅生門」を想起させるものですが、その後の展開は、脚本の黒澤明橋本忍の観察眼と人間観に圧倒されます。これは、芥川龍之介の原作を大きく凌駕する人間の本質に迫ったドラマです。

豪雨の中の羅生門の下に、三人の男―杣(そま)売り(志村喬)、旅法師(千秋実)、下人(上田吉二郎)-がいます。その中で「杣(そま)売」志村喬が、語り部役的にある事件について語り始めます。
数日前、ある山中で、一人の侍の死体が発見されます。悪名高い盗賊の多襄丸(三船敏郎)が、山中の藪の中で、侍夫婦を襲い、妻を犯し、夫を殺害したというのが事件の概要ととらえられています。まずは、杣売り(志村喬)、殺された侍と会ったという旅法師(千秋実)が、検非違使の取り調べの場で、証言を始めます。
そして、盗賊の多襄丸(三船敏郎)が、下手人として連行されてきます。彼は、山中で侍夫婦を見かけ、その妻に欲情し、侍を捕縛した上で、妻を手籠めにしたと語ります。ところがその妻は両者の決闘を要求し、勝った方の妻になる言い始めます。多襄丸と侍は戦い、結局多襄丸が侍を倒すのですが、その間にその妻はどこかへ逃げてしまった、というのが多襄丸の証言です。
続いて、侍の妻(京マチ子)の証言が始まります。手籠めにされた後、多襄丸は侍を殺さずに逃げたと言います。妻は夫である侍を助けようとしますが、彼は眼前で別の男に身体を許した妻に軽蔑の眼差しを浴びせます。その視線に耐えられず、妻は自分を殺すように懇願し、緊張のあまりそのまま気絶してしまいます。目が覚めると、夫には短刀が刺さって死んでいた。夫の後を追って死のうとしたが死ねなかったというのが、妻の証言です。
さらに、巫女が呼ばれ、死んだ侍の霊が呼び出され、その証言が語られます。侍の霊が言うには、妻は多襄丸に辱められたにも関わらず、彼に情を移し、一緒に行く代わりに自分の夫を殺すように求めたと語るのです。しかし、その自己中心的な女の態度に、さすがの多襄丸も呆れ果てて、女を生かすか殺すかはお前が決めて良いと侍に伝えます。それを聞いた女は逃亡し。多襄丸も姿を消し、一人残された侍は、無念のあまり自害したというのが、侍の霊の証言です。

そこには一つの事実―一人の男(侍)が殺された(死んだ)-という事実があったはずです。
しかし、そこにいた三人の当事者―多襄丸、殺された侍、その妻の言い分というか認識は異なります。豪雨の羅生門の下にいた三人の男のうち“下人”が「三人とも嘘をついている」と“杣(そま)売り”に言い寄ります。事件に巻き込まれるのを恐れ、詳細を黙していた唯一の客観的目撃者?“杣(そま)売り”も、観念して自分が目撃した事実を語り始めます。それは三人-多襄丸、殺された侍、その妻が語った証言とは、異なる“事実”ですが、自分に都合の良いように曲解し、脚色し、証言を組み立てれば、多襄丸、殺された侍、その妻の言い分も全くと嘘とも言い切れない気もします。

我々が「事実」「真実」と呼ぶものは「客観的なもの」と信じがちですが、決してそうではないことをこの映画は教えてくれます。そもそも「客観的」というのは、とても複雑で難しい問題です。我々が「事実」と呼ぶ事象も、結局はある人間の認知や立場や、その他複雑な人間的フィルターを通して語られたものに過ぎません。僕は「誰かに騙されたかも」とか「あいつは嘘をついている」とかネガティブな気分になった時に、この映画を観る事にしています。結局、自分を含めたどの人間にもこういう側面があるのだと再認識し、少し冷静になるために。
人間を信じないわけではない。しかし完全には信じない。それは彼(彼女)が意図的に嘘を言っているという訳ではなく、こういう自衛本能的な、あるいは無意識な態度を誰もが持っているものだ、という、それこそ「真実」を思い起こすために。

 

この映画は、1951年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞し、翌年アカデミー賞(最優秀外国語映画賞)を受賞しています。日本映画の国際映画界での評価を高める契機となったと同時に、その後の世界の映画界に多大な影響を与えた稀有の傑作と思います。

<文学> 鼻(芥川龍之介

 

トリュフォーの「恋愛日記」の脚フェチおじさんの事を書いていたら、芥川龍之介の「鼻」の事を思い出しました。「鼻」はフェチの話ではなく、自分の大きすぎる、長すぎる鼻に悩む禅智内供という僧侶が自分の鼻にコンプレックスを感じる話しです。短編ですが、芥川龍之介風の虚構とユーモアとボケとが見事なまでに融合していて、それが引き締まった文体で語られていきます。よく思うのですが、芥川の短編は、落語の演題にしたら最高だろうな、と思います。この「鼻」もそうですが、「芋粥」や「杜子春」もシリアスでありながら、何とも言い難いユーモアがあります。

 

 

「鼻」ですが、この禅智内供という僧侶は、この長い鼻のために二つの困りごとに直面します。一つは実際的に、鼻の長いのが不便だったこと。鼻が長すぎて一人で食事もできない。弟子に鼻を持ち上げてもらい、その間に食事をする。それ以上に深刻だったのは、この鼻によって傷つけられる自尊心の問題でした。「・・こういう鼻をしている禅智内供のために、内供の俗ではないことを幸せと言った。あの鼻ではだれも妻になる女があるまいと思ったからである。・・・そこで内供は、積極的にも消極的に、この自尊心の毀損を恢復しようと試みた。」

それから、内供の鼻を短くするための挑戦が始まります。烏瓜を煎じて飲んだり、鼠の尿を鼻へなすってみたり、高名な医師の勧告で、湯で鼻を茹でてみたり。この「茹で法」は効果はあったのですが、内供は別の事実に直面します。「・・二三日たつうちに、内供は意外な事実を発見した。それは折から、用事があって、池の尾の寺を訪れた侍が、前より一層可笑しそうな顔をして、話もろくろくせずに、じろじろ内供の鼻ばかり眺めていたことである。」
さらに芥川はこう語ります。「-人間の心には互いに矛盾した二つの感情がある、勿論、だれでも他人の不幸に同情しない者はない。ところがその人がその不幸を、どうにかして切りぬけていることが出来ると、こんどはこっちがなんとなく物足りないような心もちがする。」

最後、内供の鼻は、もとの長い鼻に戻ります。そして、こう独白的な文章が続きます。「内供はなまじいに、鼻が短くなったのが、かえって恨めしくなった。」「内供は慌てて鼻へ手をやった。手にさわるものは、昨夜の短い鼻ではない。上唇の上から顎の下まで、五六寸あまりもぶら下がっている、昔の長い鼻である。内供は鼻が一夜のうちに、また元の通り長くなったのを知った。そうしてそれと同時に、鼻が短くなったときと同じような、はればれした心もちが、どこからともなく帰ってくるのを感じた。」

トリュフォーの「恋愛日記」の脚フェチと芥川の「鼻」の鼻コンプレックスは全然世界観やアプローチが違います。しかし、人間がある部位というか、部品に関するこだわりが作品のテーマになっていると意味では、共通性があると思い、そのポジティブな評価もネガティブな評価も、「部品」に拘る、という意味では同じように思います。しかも、この「部品」に拘るという人間の側面は、ある意味無視できないと思っています。フェティシズムという性向に照らせば、僕も「脚」や「鼻」に対する嗜好があって、対象は別かもしれませんが、それは誰にもあるもので、否定することもできません。

<映画> 恋愛日記(フランソワ・トリュフォー

 

そのヌーヴェル・ヴァーグの旗手の一人、フランソワ・トリュフォーの作品の中で、忘れることができない作品に「恋愛日記」があります。原題は、L’homme qui aimiait les femmes.(女達を愛した男)くらいの意味でしょうか? トリュフォーの作品の中では、佳作というか、目立った作品ではないのですが、忘れがたい作品の一つです。

ストーリーは、ともかくどう仕様もないです。脚フェチの中年男が、女性を追っかけまわし、そんなにモテるタイプには思えないのですが、それなりの女性遍歴を重ねます。特に脚の美しい女性を執拗に追い求め、知り合うためにあらゆる知恵を絞り、策を講じて命がけで女性を口説きます。その行動力と執着は滑稽なのですが、ある意味尊敬に値します。トリュフォーは、この男の視線に忠実であるがごとく、美しい女性の脚を執拗に追いかけます。これはこれでセクシーで美しい映像に仕上がっています。

ある日彼は、以前からアプローチしていた下着屋の女主人に振られたことをきっかけに、自分がもう若くないと思い知らされ、軽薄な行動に思えるのですが、女性たちとの思い出を小説に書いて残そうと考ます。途中、古い記憶に浸ったり、あまりの内容に嫌気がさした女性タイピストが辞めてしまったり、それなりの苦労の末、何とか作品を仕上げパリの出版社に持っていきますが、内容に呆れられ採用されません。しかし、ただ1人、ある女性編集者だけは小説を認めてくれ、ようやく出版にこぎつけます。


クリスマス・イブの晩、彼は寂しさにおそわれ、かつて関係を持った女たちに手当たり次第に電話をかけます。が、どの番号も通じません。やりきれずに街へ繰り出します。向こう側の道を歩いている女性の脚に魅了され、その女性に声をかけようとして車道に飛び出し、車にひかれてしまいます。重態のまま病院に運ばれ、絶対安静の身となっていたのですが、悪いことに(彼にとっては良いことに?)巡回の看護婦がとても美しい脚の持ち主で、彼女の脚に触れようとしてベッドから這い上がった瞬間、生命維持装置が外れて絶命してしまいます。クリスマスに行われた彼の葬儀には、彼に愛され、そして彼を愛した女性ばかりが集まり、彼女たちとの思い出を描いた彼の人生は一冊の本となりました。めでたし、めでたし。


僕はこの作品を中学生のころ、地元の洋画中心の映画館で観たはずです。いわゆる二本立てというやつで、もう一つ何かが上映され、本来はそちらの方がメインの作品のはずでした。しかし、メインの作品が何だったかすっかり忘れてしまい、この「恋愛日記」だけが強烈な記憶となりました。その後、東京のどこかの名画座で観ました。そして今、久しぶりにDVDで観返しています。バカバカしいストーリーで、主人公は、情けない中年フェチ男です。この頃のヨーロッパ映画は、こういうバカバカしいけれど、理屈では割り切れない、心に染みるような作品が少なくなかった様に思います。ハリウッド製の大作―戦争をテーマにしたものやSFや、妙に説教臭い作品―とは異なるもの、人間は元々バカなんだよ、という小さなテーマを繊細に描くこういった作品をたまに観ると、逆に少しホッとします。 

恋愛日記 [DVD]

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  • 発売日: 2008/02/22
  • メディア: DVD
 

 

 

<映画> ヌーヴェル・ヴァーグ

 

1950年から60年代は、フランスの芸術・文化が、前衛的で刺激的で最も輝いていた時代の様に思います。僕が、高校・大学生活を送っていたのは1980年代なので、リアル・タイムでの体験ではなかったのですが、折しも日本では「ニューアカデミズム」というブームがあって、構造主義現象学言語学等の新たな思想や領域が、様々な形で注目され、脚光を浴びた時代でした。それらは新しい知的な刺激で、僕も構造主義言語学の書籍をそれなり読破していました。

1950年から60年代のフランスと言えば、文学ではカミュセリーヌ、戯曲ではベケットやイヨネスコ、哲学・思想の分野では、サルトルを筆頭に、メルロ・ポンティやレヴィ―・ストロース等々、現在でも大きな影響を及ぼす知の巨人たちで目白押しですね。
実存主義や不条理、構造主義等はたいへん魅力的で、本当に理解していたかはなはだ疑問ですが「構造主義的には・・」とか偉そうに語っていた恥ずかしい記憶があります。この頃の構造主義熱は少々加熱し過ぎていて、マルクスやデュルケムは言うに及ばす、ギリシャ哲学やガリレオニュートンといった自然科学者・哲学者も構造主義的にとらえ直そうという風潮があった様に思います。

さて、1950年から60年代のフランスでは、映画の分野においても、新たな潮流が起こります。「ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)」と呼ばれる若手の映画作家達による、新たな映像表現の実験です。この「ヌーヴェル・ヴァーグ」という呼称がいつから始まり、広まったのか、また、この「ヌーヴェル・ヴァーグ」という新たな映画表現の潮流が、いつ始まり、いつ終わったのか、諸説あるようですが、僕の「ヌーヴェル・ヴァーグ」との出会いは、ジャン=リュック・ゴダールの「勝手にしやがれ」でした。ストーリーは良く覚えていません。
主役のジャン・ポール・ベルモンドジーン・セバーグのやりとりが最高に面白くカッコ良かった記憶はあるのですが、結末は不条理?で情けないものだった気がします。しかしシナリオも演出やカットも、役者もすべてが刺激的でした。何よりも若者のエネルギーと破壊力に満ち溢れていました。ゴダールに続いて、フランソワ・トリュフォーの「大人はわかってくれない」「突然炎のごとく」、アラン・レネの「二十四時間の情事」「去年マリエンバードで」等々を目当てに、都内の映画館を行ったり来たりしていました。

ヌーヴェル・ヴァーグ」と括られる作品群の中で、何が一番好きかと問われれば、僕はルイ・マルの「死刑台のエレベーター」をあげます。ルイ・マルが25歳の時の作品。信じられない早熟の天才です。マイルス・デービスのトランペットが最高にクールでカッコ良いです。そして、アンリ・ドカエのモノクロの映像も圧巻です。主演の一人、ジャンヌ・モローは、後のフランソワ・トリュフォーの「突然炎のごとく」の圧倒的存在感に比べるとかなり大人しめですが、セクシーでカッコ良いです。知的な表情は、やはりジャンヌ・モローです。この作品は、殺人に絡む、いわゆるサスペンスですが、複雑になりがちなストーリーをコンパクトに展開しつつ、ドキドキ感を最後まで維持するルイ・マルの演出力は素晴らしいと思います。ゴダールの様な破壊力はないですが、何ともクールで印象的な秀作です。 

 

 

<文学> 革命か反抗かーカミュサルトル論争

 

カミュの流れで、進みますね。
「革命か反抗か」-カミュサルトル論争は、「アルベール・カミュ あるいは反抗心」(フランシス・ジャンソン)、「『現代』の編集長への手紙」(アルベール・カミュ)、「アルベール・カミュに答える」(ジャン・ポール・サルトル)、「遠慮なく言えば・・・」(フランシス・ジャンソン)の4本の論考で構成されています。サルトルが主宰する雑誌「現代」で数回に渡り繰り広げられたジャンソンサルトルカミュの論争です。発端は「現代」の編集長でありサルトルの同志、というか弟子と言って良いフランシス・ジャンソンカミュ批判から始まります。前年カミュは「反抗的人間」を発表し、当時多くの注目を集め、さまざまな反響や賛否の声があったようです。 

革命か反抗か―カミュ=サルトル論争 (新潮文庫)

革命か反抗か―カミュ=サルトル論争 (新潮文庫)

  • 発売日: 1969/12/02
  • メディア: 文庫
 

 「アルベール・カミュ あるいは反抗心」で、ジャンソンは「『反抗的人間』の場合は、・・」と、いきなり直球で批判を始めます。「文学的な見地からすれば、本書は完全と言っていいくらい成功しているので、この点から見て異口同音の称賛を得たことも驚くにはあたらない・・」と文学的には評価しつつも、カミュの姿勢や思想は徹底的に批判します。形而上、コミュニズムブルジョワジー等々、今では少々時代遅れになってしまったビッグ・ワードを駆使しながらジャンソンカミュ批判を続けます。おそらくこのジャンソンという人はとてつもなく頭の良い秀才で、サルトルから教授された論理展開に忠実に批判を展開したのでしょう。しかし読み進めるうちに、何ともやるせない気分になってしまいました。そもそもこのジャンソンという人は、何のためにカミュを批判するのか?批判を通して何を訴えたいのか、穿った見方をすれば、カミュの成功に嫉妬しているのでは、ないのか等々。

このジャンソンの批評に対して、カミュは「『現代』の編集長への手紙」で反論します。カミュは丁寧に反論していると思うのですが、やはり基本は文学者なので、思想的、論理的には甘いところがある印象です。ここで面白いのは、カミュが「君」(つまりジャンソン)と「君の寄稿者」(つまりサルトル)を意図的に混在させて評論している点です。カミュの怒りといら立ちがひしひしと伝わってきます。と同時にサルトルの代弁者扱いされた秀才ジャンソンも怒り心頭だったでしょう。これが後のしつこいばかりの批判の一因になります。そしてこのカミュに答える形で、いよいよ大御所サルトルが登場します。論評「アルベール・カミュに答える」の前半は少々説明的で、自慢話にも思える記述もあって、やや退屈なのですが、後半の記述はやはり圧倒的です。このカミュサルトル論争は、やはりサルトルの勝ちだというのが一般的評価の様ですが、このサルトルの文章を読むと納得していまいます。ただ個人的には、サルトルカミュを「論破した」と思えるものの、サルトルの記述にもあまり心打つものは見当たりません。

このサルトルの論評で、カミュサルトル論争が終わっていたら、もう少し清々しいものになっていたと思うのですが、最後にフランシス・ジャンソンが「遠慮なく言えば・・」で再び登場します。「アルベール・カミュよ、君の手紙は、僕の論文をひどく気にしながらもやっとのことで黙殺してすませたが、じじつ、君は僕に対してなにも書いていない。だからこそ僕は返事を書く。・・・」と始まるのですが、振られた女性に対する恨み節の様で、ジャンソンが様々な事実と論理を駆使しても、僕には全く響かず、むしろ嫌気がして、最後にはこの本を投げ出してしまいました。

「革命か反抗か」という本書のタイトルは、サルトルカミュの立場を対峙するには巧みタイトルだと思います。もちろんサルトルカミュも革命の必要性も反抗の必要性も認めているわけだから、両者の立ち位置を相対化して表現しているとも言えます。サルトルカミュが直接論争したことの意義はあるのでしょうが、でも、僕はどうしても、フランシス・ジャンソンというある意味部外者が口火を切り、最後まで介入してくるのが不愉快でならないのです。彼のカミュ評価を発表する手段や方法は別にあったはずで、その方が彼の真意をより的確に伝えることができたのではないでしょうか。


だからこの本にお金と時間を費やす意味はあまりないというのが、僕の率直な感想です。そのお金と時間があれば、20世紀最大の哲学者・思想家―サルトルの「存在と無」と若くしてノーベル文学賞を受賞しながら、早逝した稀有の文学者―カミュの「ペスト」を直に読んで、この二人の巨人が、色々とあったけれど同じ時代を共有していたんだ、と思いを馳せる方がよほど健全です。

<文学> ペスト(カミュ

 

新型コロナウィルス禍の中で、カミュの「ペスト」がベストセラーになっていると聞きました。ミーハーおやじ的に文庫本を買おうと思ったのですが、書棚の中を探ってみると、昭和58年刊の新潮文庫が見つかりました。中はかなり黄ばんでいて、ちょっと読む気もしなかったのですが、新たに買うのももったいなく、とりあえずこの古本を読むことにしました。
昭和58年というと1983年です。僕が大学生の頃です。「異邦人」は、良く意味も分からず高校生の時に読んでいたはずなので、多分その延長で「ペスト」を読んだのでしょう。しかし、よく今までこの古い新潮文庫が残っていたものです。 

ペスト (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)

  • 作者:カミュ
  • 発売日: 1969/10/30
  • メディア: ペーパーバック
 

 現在の新型コロナウィルスによるパンデミックな状況で、カミュの「ペスト」がベストセラーになる事は、分かるには分かります。何かヒントを得たいという人もいるでしょうし、暇つぶしに、似たような災禍を描いた小説でも読むかという人もいるでしょうし、ベストセラーになっているみたいだから読むか、という人もいるでしょう。

実際「ペスト」を読み進めると、現在我々がコロナに直面しつつ取っている行動、抱いている感情と類似点が多いことに、改めて驚かされます。これはカミュの卓越した洞察力と想像力が為せる業なのか、人間が如何ともしがたい苦難(戦争や疫病)に直面した時に取る、ある意味普遍的な反応なのか解釈が難しいです。おそらくどちらも当たっているのでしょう。僕は後者―人間の普遍的な反応―だと考えていますが、いずれにせよ、この人間の普遍性を文学作品に昇華させたカミュの手腕に感嘆せざるを得ません。

カミュの作品は不条理文学と言われます。そしてもう一人のMr.K―カフカも不条理文学と括られます。確かにカミュの「異邦人」とカフカの「変身」、カミュの「ペスト」とカフカの「城」はある種の対を成している様にも思えます。前者は個人的な不条理、後者は社会的な不条理とでも言いましょうか。僕は二人とも好きなのですが、同じ不条理でも、カミュ=陽、カフカ=陰という印象を持っています。(この点はまた別の機会に書きたいと思います。)いづれ、不条理とは、「理屈に合わないと」という事でしょう。ある日虫になっていたり、太陽のせいで人を殺したり、迷路のような城に入り込み、具体的な答えが無いまま流浪してしまったり、ペストという個々の人間ではどう仕様もない状況に直面し、実際命を落としたり、これらはすべて不条理なのでしょう。しかしこれは決して特別なことではなく、僕らの回りは理屈に合わないことばかり、小さな不条理だらけですね。自分の思う通りにはならない、しかも個人的な努力では如何ともし難い事象に満ち溢れています。

「ペスト」の登場人物達は、それぞれの立場や信念を抱えながら、ペストという不条理に対峙します。でも結局、死んでしまう者もいて、生き延びるものもいるのです。その分岐点がどこにあるのか、誰も説明できません。しかし一つ言えることは、その結末はともかくとして、この絶望的な状況の中で、彼らは自分の信念に忠実に行動しようとし、異なる結果に辿り着く、否、導かれるのです。不謹慎な言い方かもしれませんが、ここに法則や理屈はありません。事実があるだけです。カミュは作品の最後でこう語ります。「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストがふたたびその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差向ける日が来るであろうということを。」 
こう暗示的に語られると、再び「ペスト」という物語とその登場人物に戻りたくなります。
共感できる人物も共感できない人物もいます。しかし各々の結末は、善悪では決まらないのです。そう考えると、僕たちにできることは、あまりに平凡なことですが、結果を恐れずに、自分が信じた通り行動する、という事だけではないでしょうか。

難しすぎるテーマに触れてしまい、馬鹿なこと書き連ねてしまいました。率直な意見を聞かせてください。

<映画> ジュリア

 

ジュリアは、何と言うか、少し心が折れ始めたり、気力が萎え始めた時に、何度も観返してきた作品です。監督は名匠フレッド・ジンネマン。主演はジュリア役のヴァネッサ・レッドグレーブとリリアン役のジェーン・フォンダ。そこに「マルタの鷹」等で著名なアメリカのハードボイルド作家、ダシール・ハメット役のジェイソン・ロバーツがリリアンのパートナーとして登場し、何とも渋く、控えめで、しかし時に厳しく、優しい初老の男性を心憎いほどに演じています。1977年の作品なので初演時には観ていない。おそらく東京のどこかの名画座で観たのだと思います。 

ジュリア [AmazonDVDコレクション]

ジュリア [AmazonDVDコレクション]

  • 発売日: 2019/07/24
  • メディア: DVD
 

 決して明るい作品ではありません。ジェーン・フォンダ演じるリリアンは、後にアメリカを代表する女性劇作家になるリリアン・ヘルマンです。そしてジュリアは、そのリリアンの幼少期からの友人、と言うか、親愛すべき姉の様な存在です。映画は暗い湖面で釣りをするシルエットで始まります。とても陰影がある美しい映像です。映像は一転し、ジュリアとリリアンの幼少期を回顧します。とても仲が良く、しかしリリアンは何をやってもジュリアには敵わない。ジュリアは常にリリアンを支え、助け、二人が永遠の友情を育む過程を明るく、ビビットでまさに青春の息吹の様なスピーディな映像で描いていきます。

二人は成人し、ジュリアはオックスフォード大学に留学し、リリアンは作家を目指すものの創作に苦しみます。そして時は1934年、リリアンは劇作家として成功を収めつつありました。そこに謎の男が近づき、ある荷物をヨーロッパにいるジュリアに届けて欲しいというのです。ジュリアは、ヨーロッパでファシズムと戦う闘志になっていたのです。その荷物とは・・それは映画を観てのお楽しみです(そんなに意外なものではありません。)

有名劇作家となったリリアンは、モスクワ訪問という名目でヨーロッパに渡りますが、なかなかジュリアに会えません。そしてようやくある病院で包帯グルグル巻きになったジュリアと再会します。が、この時のジュリアは会話ができる状態にはありませんでした。そして次に病院を訪れた時、ジュリアはすでにそこにはいませんでした。反ナチの仲間が彼女をどこかにかくまったのか、親ナチが彼女をどこかに連れ去ったのか? 誰が味方で誰が敵なのか分からぬミステリーの様な緊張感を帯びながら物語は進んでいきます。そして、リリアンの回りに様々な人物が登場し、ジュリアの作戦と思われる指示の一端をリリアンに残します。彼らに委ねられるままに、リリアンは当初の旅程を変更し、ワルシャワ経由で、モスクワに入ることにします。

ワルシャワでの、リリアンとジュリアの再開は、この映画のクライマックスです。ワルシャワの駅でジュリアの同志に出迎えられたリリアンは、駅前のカフェに行くように言われます。そこには、昔のまま勇敢で誇らしい笑顔のジュリアがいました。しかし彼女は片脚を失い松葉杖を必要としていました。しかし、それでもジュリアは、勇敢で誇らしい笑顔を絶やしません。この時のヴァネッサ・レッドグレーブはとにかく凄い。ジュリアはここで自分には女の子がいる事、そしてその子はある田舎町のパン屋に預けてある、とリリアンに伝えます。短い再開が終わり、リリアンはモスクワに向かいます。そして、このワルシャワでの再会が、ジュリアと会う最後になってしまいます。しばらくして、リリアンはジュリアの訃報を受取り、悲しみに暮れながら、再びヨーロッパに渡り、必死にジュリアの子を捜し続けます。

僕の拙文のせいで、これだけ読んで何が感動的なのか上手く伝わらないかもしれません。
しかし、ヴァネッサ・レッドグレーブをはじめとする俳優陣の圧倒的に演技力。陽と陰、速と遅を変幻自在に駆使するジンネマン監督の手腕も素晴らしい。それ以上に、人間同士の愛情、信頼が、時にすべて(名声や生命)を賭して、思いや信念を貫くための行動に駆り立てる「執念と希望」とでも言いましょうかーこの映画全体が醸し出す(ちょっとダサいですが)ヒューマニズムが、時に僕を元気付けてくれるのだと思います。